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【連載寄稿】「大阪府教育基本条例案」の狙いと危険性(その1)

私達「みんなの箕面」でも昨年継続して批判してきた「大阪府教育基本条例案」。
箕面市の問題を論じるこのブログで、「条例案」の問題について取り上げてきたのは、この「条例案」が単に教育の問題のみならず、戦後の日本国憲法を最高法規とする民主的社会を根底から覆すものになる危険性があるからです。
当の箕面市でも倉田市長サイドによる教育への支配の傾向が強まってきています。
今一度、教育は本来どうあるべきか、その根本を考え合うために、連載寄稿をお願いしました。編集長の私よりも教育問題に詳しい方です。
是非、お読みいただき、大阪・箕面の教育の今後を考えていきたいと思います。

みなさん、はじめまして。『大阪の教育のあしたを考える会』の長野仁志と言いま
す。初めて投稿します。大阪で高校の教員をしています。2011年の大阪の教育は『教
育基本条例案』に振り回されました。今年も同様でしょう。2月23日に始まる
大阪府議会で知事提案によって基本条例案が審議されます。今ある原案のままという
ことはまずないとは思いますが、どうなるか全く先が読めない状況です。いずれにし
ても現在発表されている案がどのような経緯で出されたのか、それを踏まえないわけ
にはいきません。

今回の条例案が出された背景がより明らかになったのは、12月3日(土)に開催
された大阪弁護士会主催のシンポジウム、『どうなる どうする 大阪の教育?大阪府
教育基本条例案を考える?』だったように思います。そのシンポジウムのパネラー
は、条例案の立案者である大阪市議会議員の坂井良和氏(元裁判官・弁護士)と小河
勝教育委員・二宮厚美神戸大教授でした。会場は反対派ばかりでかつ大阪弁護士会も
反対声明を出しているので、坂井さんは「針のむしろにいる」と苦笑していました。
その坂井氏は、「案は去年4月から構想して」いて、その目的が「統治機構を変えた
い」「戦後レジームを変えたい」「議会を変えたい」ということと明確に述べ、そし
て「学力テストと体力テストでの大阪府の結果がショックだった。教育委員会制度の
形がい化している。民意を反映させる仕組みをつくる。」ために案を作ったとその目
的を明らかにしました。「統治機構を変える」「戦後レジームを変える」というきわ
めて政治主義的な意味づけをもってこの条例案が出されていることが立案者の口から
明らかになった瞬間でした。戦後レジームの解体とは、言うまでもなく憲法改正を含
めたものであることは疑いないところでしょう。

条例案に対して現場出身の小河さんは過度の競争主義がもたらす弊害を説得的に述
べていましたし、二宮さんは、「強権主義と統制主義」「競争主義」「政治介入」で
問題と明確に指摘していました。会場には案の反対意見をもつ人が多く、小河さんや
二宮さんに対して坂井さんは、「考え方が違う」と正面から論争することを避けた印
象です。坂井さんはもっと説得的に述べるかと思いましたが、やはり孤立を感じてお
られたのか、トーンは抑制的でした。会場では坂井さんの発言に対して時に失笑もも
れていました。坂井さんは教育現場をまったくわかっておらず今更ながら空理空論に
思えました。

基本条例案に対するたたかいは、実は日本国憲法を守るたたかいでもあります。憲
法を守るとは平和と民主主義、そして教育と子どもたちをまもるたたかいでもあると
いうことです。そこをはずすことはできないとあらためて思います。(つづく)

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大阪市長選挙・大阪府知事選挙の結果から─「民意」とは何なのか─

私はこのブログの編集長として、言葉の使い方などできるだけ正確に事実を反映するように気をつけているが、最近感じるのは、「現代ほど、ことばが『政治的』に利用されている時代はない」のではないか、ということである。

11月27日実施に実施された、大阪市長・大阪府知事のダブル選挙、橋下徹と大阪維新の会の「圧勝」ということばで報道しているメディアが多いが、それは本当に事実を正確に反映しているであろうか。
細川内閣が誕生した過程が、政治がメディアによって左右されることを実証したことは、今や常識である。その当時の政局や次期選挙を扱う番組では、細川護煕氏や彼の率いる日本新党やそれと連携する勢力が時間的にも多く出演し、それに反対する勢力はほとんど取り上げられることがなかった。
その結果、自由民主党は結党以来、初めて野党に転落し、それ以降、財界が推し進める2大政党による政治支配に、日本は突き進んでいくのである。

今回の大阪ダブル選挙にも、マスメディアは積極的に介入している。その中身に関しては私の力量を越えるので、いずれふさわしい人が分析してくれると思うが、「みんなの箕面」としては、今回の選挙結果は「維新の会の圧勝」という表現が本当に正確なのか、そして「民意」を政治に反映するとはどういうことなのか、そのことについて問題提起をしたい。

今回は「大阪都構想」など事前の話題も多く、橋下徹氏のわざと「敵」を作り、議論を強引に二者択一に持っていくという政治手法が、まさに「劇場型」であり、刺激を求めるマスメディアにとって、絶好の題材であった。
しかも、今回は橋下氏は「選挙結果では国政も狙う」とお得意の花火を打ち上げ、大阪一地方の問題を一挙に、全国の問題にし、全国の目を大阪に集中させることにある程度成功した。
そういう状況なので、一定の投票率の向上はあったが、過去と比べて決して高いわけではないことは、まず事実として確認しておきたい。

大阪ダブル選:市長選投票率 40年ぶりに60%超え:毎日jp
両選挙が前回ダブル選だった71年4月の投票率は、市長選が61.56%、知事選が63.06%。市長選の投票率が60%を超えたのも40年ぶりとなった。

今回の大阪市長選挙の60.92%は確かに高いものであるが、それでも1971年よりも低いのである。
知事選に関しては、今回は52.88%。これは過去最高だった1975年の66.27%に比べると遙かに低い。
このことからわかることは、大阪市長選挙は橋下氏が出るので一定の注目を集めたが、知事選に関しては、有権者の関心はさほど高くなかったということである。

では、実際の数字を見てみよう。

得票数をみると、約23万票の差がついている。それだけ見ると大差のように感じるが、投票数の割合で見ると、59%対41%である。その差は18%。実数でいうと、12万人が平松氏に投票していたら、結果は逆だったのである。これは総有権者数のたった6%である。これは「大差」というよりかは、橋下氏が「逃げ切った」という表現の方が適切だと考える。

これは、有権者数の総数の対する、それぞれの候補者の得票率を見ると、更にはっきりする。橋下氏は全有権者の35.9%の得票率で、平松氏の25%との差は10%程度にまで縮まる。そして、棄権者の割合が39.1%で、橋下氏の得票率より高いのである。
棄権も有権者の一つの意思表示である。彼らは消極的に橋下氏を選ばなかった層である。平松氏の得票率と合わせると、64.1%が橋下氏を「選ばなかった」ということにある。
この事実から考えると、橋下氏が大阪市民の「民意」の総意であるとはとうてい言えない。彼は市民の3割強に選ばれたに過ぎないのである。

橋下・大阪維新の会が「自分達が民意だ」と強弁するのは、かなり実態を歪曲化していることは、知事選の結果を見ると、更にはっきりする。

得票数だけみると、松井氏が200万票を取って、倉田氏の120万票に「圧倒的な差」をつけているように見えるが、知事選は棄権者が47.1%もいる。
総有権者数で見てみると、松井氏の得票率は30%にも満たない。40万票が動けば結果が変わっていた。それは総有権者数の6%程度である。

このように、実際の数字を分析したらわかるように、選挙というものはわずか6%の有権者の票が動くだけで、全く違う結果になってしまうものなのである。だから、選挙に行き、自分の意思表示をすることが非常に重要なのである。
同時に、「民意」というものがいかにあやういものであるかということもわかる。ちょっとした投票率の違いで大きく結果が変わってしまうのであれば、選挙に当たっては有権者が十分に判断できる材料が、事前に多く提供されることが重要なのである。
しかし、実際は告示から投票まで2週間程度。私の家のポストには、松井氏や倉田氏の選挙公報のビラは一回も投函されなかった。判断する材料は選挙管理員会が発行している選挙公報のビラのみ。宣伝カーもそれぞれ1回しか出会うことがなかった。言っていることは、候補者の名前の連呼だけ。これでいったいどうやって、選べというのか。

「公職選挙法」は先進国でも珍しい「べからず法」と言われ、禁止事項ばかりである。その上、こんなに選挙活動期間が短ければ、多くの有権者はよくわからないままに、イメージやマスメディアなどで流されている情報などで判断せざるを得ない。
どれほどの市民・府民が「大阪都構想」や「大阪教育基本条例案」の中身について、しっかり知った上で投票しただろうか。日本の選挙は「暗闇選挙」とも言われる。公職選挙法が「改正」されるたびに、選挙期間が短くなり、禁止事項が多くなる。まるで、国民に都合の悪いことは知らせないようにしているかのようである。
今回の選挙の結果、2・3年後に「こんなはずじゃなかった」と橋下・維新の会に投票した人々が後悔しないことを、ただ願うだけである。

少なくとも、今回の分析でわかるように、「民意」というものは「多様」なものなのである。数的に1位になったからといっても、全体の3割程度の支持しかないのが実際である。
この時に求められるのが、自分に投票しなかった有権者の思いもくみ取りつつ、政治の舵取りをする「政治家としての倫理観」なのである。市長や知事は、自分を選んだ者だけの代表者ではない。市や府、全体の代表者なのである。
3割程度の支持しか得ていないという事実を自覚し、自分とは反する意見も尊重しながら政治を進める、これが首長の最も大切な態度である。
なぜなら、大阪市や大阪府は、橋下・大阪維新の会を支持している人達だけのものではない。ここに住む全ての人のものなのである。彼らを選ばなかった人々の「民意」もまた「民意」であるという、当たり前のことが通用する市政・府政になるように、これからも問題提起を続けていきたい。

最後になるが、橋下氏が平松氏の追い上げを逃げ切って、勝利した陰には、公明党の動きがあったことは、すでにメディアに報道されている事実である。既成の政党政治への反発が橋下支持の根本のように言われているが、彼が政治資金をパーティー券で得ていたことが報道されたりしているように、実際は従来の政治の枠組みの中で、橋下氏の当選が実現したことを書き添えて、しばらく橋下問題から離れて、ブログの本来のテーマである「箕面市政」の問題に戻りたいと思う。

上記の問題については、是非以下のブログなどを読んでいただきたい。

橋下徹氏・大阪維新の会と公明党が裏取引 なにが維新の会と既成政党の戦いだ(BLOGOS)

大阪維新の会、パーティーが収入源 10年分収支報告書(asahi.com)

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