3月11日に起きた東日本大震災の被害状況がどんどん明らかになってくるにつけ、義援金以外にもっと何かできることはないのか、という気持ちが日々強くなる。
箕面市からは消防隊員の方々も現地に到着し、救援活動に参加しているとのこと。
今は、このようなプロの方にお任せするしかない。
素人がボランティア精神で現地に行っても、ただ足手まといになるだけ。
消防隊員が少ない分、箕面市では他の職員が消防活動に回っているとのこと。
僕たちは、箕面の防災が現在手薄になっていることを自覚して、行動する必要があると思う。
Twitterやfacebookなどで、さまざまな意見が交換されている。
その中で、いろんな支援のアイデアが交流されている。
それはそれで、大変意義あることなのだが、僕はあえてこのときだからこそ、16年前の阪神大震災の教訓を振り返りたいと思う。
関西の大学新聞の学生達が、今回の震災についての情報収集に努力している。
現地で被災した関西の学生が、何とか関西に戻ってきて、現地の様子を伝えてくれている。
現地では電源の確保も難しく、携帯も通じず、情報も入ってこないとのこと。
そして、救援物資が決定的に足りない。
是非、下記のリンク先を読んでほしい。
また、彼らは自分たちで阪神大震災の経験、教訓を本にまとめて出版している。
僕がここで数多くあるNPOではなく、なぜ単なる学生の取り組みを取り上げたのかというと、阪神大震災の時に、数多くの学生達がボランティアとして神戸の街に集まってきて、寝る間も惜しんで救援活動に尽力したという事実があるからである。
あのときに、日本で初めて本物のボランティア活動が生まれた、と評価されている。
その精神を今も引き継ぎ、NPOなどの団体にせずに、営利なしに活動している彼らのことを、是非紹介したいと思ったのである。
上記のノートの主婦の感想の中に、次のような一節がある。
「震災から3日後、神戸からわずか40キロの大阪では何ら変わることなく若いカップルが海に面したガラス張りの喫茶店でお茶を飲んでいる。この天と地ほどの差は一体何なのだろう」
この言葉に、僕は胸が痛んだ。そう、僕も大阪だったので、家は半壊しても住む場所はあったし、3日もすれば商店に食べ物も並び始めたし、神戸の街の悲惨さはTVで見ているのが主だった。
もしかして、これって、今回の地震の東京と茨城の関係と同じではないのか。
facebookにログインすると、東京での買い占めは控えてください、というメッセージが表示される。そう、都会は必ずそのうち物資が流通する。買い占めるお金があるなら、本当に物がない宮城や東北に回すのが、今一番求められることではないのか。
そういう意味で、関西が経験した阪神大震災の教訓は、必ず今回の大震災にも役立つと考えている。上記の本も4月に復刊するということなので、僕も手に入れてじっくりと読みたい。
福島第一原発の問題など、書きたいことは山ほどあるが、今は一人でも多くの命が助かることを祈って、眠りにつきたいと思う。
はじめまして。
豊中生まれ、横浜在住の者です。
今回紹介していただいた写真調べ学習に関わっています。
いろいろな方にお話を伺って、それぞれの立場で様々な意見や感想を聞かせていただきました。
貴重な体験でした。
今回、神戸などの大学生のほかに、各地の高校生も加わっています。
現在、高校1年生は阪神淡路大震災の年の生まれ。
当時のことを知りません。
本に関しては、『語り継ぎたい。命の尊さ』の再出版という形になり、
今回調べた内容は、機会を改めて出版する予定です。
さて、関東の様子ですが、確かに買い占めが起きています。
開いているスーパーやコンビニに行っても、空っぽの棚が目立ちます。
ただ、7日目になっても大きな余震が続き、原発の事故は予断を許さず、毎日停電が起きて店の営業時間が短くなり(ターミナルの大型店は18時で閉店)、電車も普段通り走らない中では、ある程度仕方ない行動だと思います。
あのときの神戸や西宮と大阪の関係とは違うと思います。
きょう、同僚とこんな話をしました。
「戦時中というのは、今のような感じなのかな?」
もちろん、戦時中は統制が厳しく、比較にならないかもしれませんが、
「非常時」でもあり、その一方で日常生活も続いている。
どちらにウエイトを置いたらよいのか、まだよくわかりません。
こんな経験は、半世紀以上生きていますが初めてです。
portsideさん、コメントありがとうございます。
紹介した本の制作に関わった方から、直接コメントをいただけるとは光栄です。
私が大阪にいて一番もどかしく思うのは、なかなか正確な情報が伝わってこないということです。
街の壊滅がひどく、マスコミが入っていけないということもあるのかもしれませんが、まだ孤立状態にある方々もいると聞くと、何をすればいいんだろうと心が痛みます。
そこに、福島第一原発の事故。1号機から6号機まですべてが深刻な状態になりつつあることを聞いて、安易に原発に頼る政策を続けてきた政府・東京電力に怒りを覚えます。
おっしゃるとおり、今回の地震は阪神大震災よりも100倍以上の破壊力があり、計画停電も続く中で、東京も被災地ですから、買い占めも仕方ないと理解できます。でも、もっと被害のひどい宮城から見たら、もしかしたらまだ恵まれているという無言のまなざしがあるような気がして…。
あのとき、大阪に住む僕たちが思われたように。
もちろん、大阪にも豊中など大きな被害を受けた場所がありました。だから、東京といってもひとくくりにできないことも理解できます。
でも、僕は今感じている違和感をどうしたらいいのか、わからないでいます。
東京は「被災地」でありながらも、日常の経済活動も行われている、というところが、阪神大震災の時の大阪とは違うのでしょうね。
あのときには、大阪のライフラインは割と早く回復しました。兵庫などはなかなかでしたが…
自分の中にある「違和感」を形にしたいと思うとともに、こういうときに、被災地でない関西の僕たちができること、するべきことのヒントなどを教えていただければ幸いです。
マスコミが報道しない事実などがあれば、教えていただけるとうれしいです。
今後とも、よろしくお願いします。
計画停電が行われない本日は、少しは落ち着いています。
横浜駅前の商業施設には、小さな子どもづれの家族の姿も目立ち、
いつもの休日と変わらない部分もあります。
スーパーマーケットの品不足も、いくらかは改善しているように見えます。
ただ、生鮮食品の中で、特に北海道産の原料を使う乳製品の品薄は深刻です。
きょう買った牛乳は1リットルパックで338円。
低温殺菌のやや高級品ですが、こんな値段で、しかも1人1本限りです。
この牛乳、普段見慣れないパッケージなのでよく見たら、島根県のメーカーのものでした。
わざわざ普段取引のない西日本のメーカーから取り寄せたんですね。
その努力には感謝します。
深刻な被害なのに、ほとんど報道されないのが千葉県浦安の液状化です。
東京ディズニーリゾートは無期限の休業に追い込まれています。
http://www.tokyodisneyresort.co.jp/top.html
何せ、車のタイヤの高さ分くらいの泥が堆積していて、
地盤の沈下が止まるまで手がつけられないそうです。
断水も続き、住民は相当困っているようです。
http://www.asahi.com/special/10005/TKY201103180170.html
横浜港に面する埋め立て地にあるわが家周辺でも、液状化は起きませんでしたが、
地盤の沈下が起き、あちこちで段差ができています。
地下の水道管が破損して、わが家も2日間ほど断水しました。
9日目になってなっても、大きな被害を受けた地域では、まだ被害状況が完全に把握できていない異常事態です。
被災後すぐに救援の車が被災地に向かった16年前とは、そこが大きく異なります。
自助、共助だけでは限界です。
自衛隊などの公助のみが、いま有効な救援手段でしょう。
もう少し落ち着いてから行動を起こすしかないのでは、と思います。
TBSラジオがこんな取り組みをしています。
不用なラジオの寄付を呼びかけています。
http://www.tbsradio.jp/tbsradio/
追加です。
西日本の方ができることとしては、
被災者の広域避難に協力することでしょうか。
被災地にいても、なかなか生活が良くならない現状では、
月単位で移住するということでもしないと、
不自由な生活が改善しないのではないかと思います。
portsideさん、東京の詳しい被害状況を教えてくださり、ありがとうございます。
ラジオの寄付は、確かに有効な支援ですね。
ブログ、あるいはTwitterで広げていきたいと思います。(残念なことにうちにはラジオがありません。これを機に買ったぐらいです)
被災された方々を各都道府県で受け入れる要請、ようやく政府が18日に出しましたね。
箕面市の対応も、それをうけてのものだと思われます。
受け入れた際の費用も、国が全額援助するという報道もなされています。
まだまだ、被害の全貌は明らかになりませんが、少しずつ支援の輪が広がっているのも確かです。
今後も、私たち西日本に住む人間ができることがあれば、教えていただければありがたいです。
よろしくお願いします。