3年前の2008年の8月、自民党・民主党、公明党、国民新党という当時考えるだけの与党の推薦を得ながら、投票数の過半を取れずに当選した倉田哲朗氏の市長としての仕事も3年目を終えた。
そして、来年はいよいよ市長選挙である。

彼は当時、最年少の市長としてもてはやされたが、そんなことはどうでもいい。彼がしたことは、公約になかった「緊急プラン」の突然の発表。
当時子ども部長だった奥山勉氏を副市長に任命、市長寄りの役人を集めて、市民の福祉を削り、彩都や北大阪急行の延伸に財源を回す、ある意味古典的な、そして非情な市政を強行してきた。

当時、箕面市の保守勢力にとっては、前藤沢市政から政権を奪い取るのが至上の命題だった。だからこそ、箕面の政務総監だった総務省出身の倉田氏に白羽の矢を立て、全力を挙げて市長に押し上げたのだった。
しかし、そういうことはたいした問題ではない。大事なことは、彼がこの3年間何をし、何をしなかったかということだ。

これまでの記事でも明らかにしてきたが、倉田哲朗箕面市長はその公約の多くを実現できないで終わっている。その典型は、市立中学校のデリバリーランチであろう。
国民保険の大幅な値上げも、公約にはなかった。
彼が市長に就任してから、国も民主党政権に変わり、従来以上のばらまき政治というラッキーな条件で市政を切り盛りできたが、そのほとんどが従来のハコモノ作りに終始している。
つまり、ハードはそろえたが、それに伴うソフト、つまり市政に「魂」を入れる仕事がないがしろになっている。

同時に、「箕面都市株式会社」問題に表れているように、古くからの利権者と倉田市長との不透明な関係も、だんだん明らかになってきている。それは、先日の「旧かじか荘」売却問題でも感じられる。

私たちは、会設立の趣旨にもあるように、バックもコネもない普通の市民の側にたつ箕面市政の実現がそもそもの目標である。
そのためには、市長を変えるのが一番である。なぜなら、市長が握っている権限は絶大なものだからである。市会議員とは比べものにならない。

そして、政治は理念だけで動くものではない。この3年間で何が変わり、何が変わらなかったのか、その事実を明らかにしていくことが大切だと考えている。
その事実を明らかにしたとき、「若いから」という根拠のない人気で市長を選ぶのではなく、本当に多くの市民の利益を大切する人を選ぶという、民主主義が根付いていくと考える。

そこで、これから1年間かけて、倉田哲朗箕面市長のしてきたことを明らかにしたいと考えている。というのは、私も自身の仕事を抱えながらのブログの更新である。細切れになると思うが、少しずつ自分の問題意識をアップしていきたい。

皆さんにお願いしたことは、私は決して政治や財政の専門家ではないということ。それでも、市民のための箕面を作っていこうと自分の能力を超えたことに挑戦している。
私の連絡先は、facebook、Twitter、Google+などで明らかにしている。私がアップすることに、いろんな方面から助言をいただければ、大変ありがたい。

1年後の、市民本意の箕面市政の実現のために、多くの方の力を結集していきたいと考えている。是非、力を貸していただきたい。