もうさまざまなメディアで取り上げられ、議論になったことであるが、橋下徹大阪府知事が、自身の政治団体「維新の会」が過半数をとっている大阪府議会で、数の暴力を利用して、とんでもない条例を可決・成立させた。
大阪府、君が代条例成立 教職員に起立斉唱義務づけ:asahi.com
公立校の教職員に君が代の起立斉唱を義務づける全国初の条例案が3日、大阪府議会(定数109)で成立した。同府の橋下徹知事が率いる「大阪維新の会」府議団が提出。公明、自民、民主、共産の4会派は反対したが、過半数を占める維新の会などの賛成多数で可決された。
この状況は異常である。これまで自民や民主政権は教職員への国歌斉唱や起立などを要求し、それに応えて文科省などは各都道府県の教育委員会に指示などを下ろしてきたが、その当の本人達も反対する中での、数の暴挙である。
反対する勢力の方が、今回は正しい、なぜなら、この条例は憲法に抵触する可能性があるからである。
「国旗及び国歌に関する法律」が国会で成立したときも、時の政権は「これは、保護者や子どもの内心の自由を制限するものでない」と繰り返し、答弁していた。それは当然で、どんな法律であれ、憲法が保証している、思想及び良心の自由(第19条)を否定することは認められないのである。憲法の条例に反する全ての法律や条令が無効であることは、憲法自身が第98条に定めている。
そういう観点から考えると、橋下知事が今回もくろんでいることは、法治国家である日本の憲法を否定することであるとも言える。だからこそ、問題性の大きさから、大阪府教育委員長も橋下知事に対して異論を述べているのである。
大阪府教育長「現場に任せて」 君が代条例巡り知事に:asahi.com
中西教育長は「問題のある学校には、文書や口頭で教員に指導し、学校の現状に応じて粘り強い指導を続けていきたい」と述べた。これに対し、橋下氏は「僕の立場で号令をかける」と主張した。
中西教育長が府立学校には職務命令を出すと言明していること自体、大きな問題はあるが、まだ橋下知事より対応はましである。
そもそも、行政は教育内容に介入するべきものでない。それは、1947年の教育基本法に明記されていた。
(教育行政)
第10条
教育は、不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負って行われるべきものである。
2 教育行政は、この自覚のもとに、教育の目的を遂行するに必要な諸条件の整備確立を目標として行われなければならない。
改悪されてこの条項の文言は書き換えられてしまったが、これが戦後教育の原点であったことは間違いない。
要は、戦前はそのときの政府の都合で教育がゆがまされて、最終的に多くの子ども達を戦場で死なせてしまった。その反省から、戦後の教育が再出発したことを忘れてはならない。
だから、いろいろ問題を抱えつつも、中西教育長の言うとおり、「粘り強く指導する」という方が、まだまともなのである。
だが、橋下知事は9月の府議会に、複数回起立斉唱しなかった教職員を懲戒免職にし、しかも実名まで公開する条例を提案するという。
君が代不起立の教員、実名公表も 橋下知事、検討の構え:asahi.com
維新の会は5月府議会で「君が代条例」の成立を図り、9月府議会で起立を拒む教員の処分ルールを定める条例案を提出する方針。橋下氏はまた、処分条例案の対象を君が代不起立に限らず、他の懲戒処分にも広げる考えを示した。ただ、実名公表の対象を君が代不起立のケースに限るかどうかについては「よく考えなければ」と明示しなかった。
記事を読む限り、処分の対象を君が代不起立以外にも広げ、お上のいうことを聞かなければ全て処分し、実名をさらす。江戸時代の厳罰の恐怖による支配と何ら変わりがない。これはもう「蛮行」を通り越し、ドイツ・ナチスのファシズムと何の違いもない。
私は自分の子どもが通う学校の入学式や卒業式に何度も参加しているが、日の丸も掲げられているし、先生方が不起立で混乱しているところを見たことがない。つまり、これまでのやり方で何の問題もないのである。
それなのに、こんな条例を出してきたということは、橋下知事は教育をも自分の思い通りに支配しようとしているということだろう。「大阪都構想」というイメージだけで選挙をやり、自分の勢力が過半数を占めたら、後は公約とは違うことをやり始める。「大阪都構想」も何の説明もできていないではないか。
私達は、あのナチスも最初は選挙で合法的に選ばれた史実を忘れてはいけない。その後、ホロコーストへの道へ進み、ドイツを崩壊させた。橋下知事がやっていることは、それと同じである。
先生方が権力で縛られ、教える内容もやり方もお上のいう通りにして、本当に子ども達が学びがいのある学校になるだろうか。世界的に学力が高いと言われているスウェーデンは、実は教師の自由が強く守られているという事実を、私達は知るべきである。だからこそ、先生方のモティベーションがあがり、結果として成果も上がるわけである。権力で縛れば縛るほど、大阪の教育は駄目になっていくことを、私達普通の親も知っていかなくてはならない。
精神的自由は、人間の人権の中でも根幹をなすものである。学校は理想の社会を作るための、つまり日本国憲法の精神を体現する将来の大人を育てる場所である。そういう学校が、一部の権力者によって牛耳られてもいいのであろうか。そのことで大阪の教育は死に、一番の被害者は私達の子ども達になることを忘れてはいけない。
私達「みんなの箕面」は親の立場から、自分の子どもの未来を守るため、今回の条例に断固として反対し、抗議するものである。
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