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「教育基本条例案」が白紙撤回されなければ、大阪府教育委員は総辞職。今こそ、本来の教育委員公選制の復活を望む。

(この記事は書きかけのものであるが、事態の重要性を考え、下書き段階で公開するものである。)

今回の大阪府教育委員の5名の方々の行動は、賞賛に値すると思う。
いったんは知事の教育委員会会議への出席の同意し、妥協に走ったかのように思ったが、最後はきっちりと教育に携わるものとしての道理を貫いてくれた。

総辞職を「無責任」と非難する向きもあるかもしれないが、私たちはそうは思わない。
橋下徹大阪府知事は「子どもが笑顔の大阪」を公約に当選し、自らの肝いりで蔭山氏などの教育委員を任命して、大阪の教育の質の向上を図ってきたはずである。
もちろん、教育委員の5名の方々もその思いで、仕事に取り組んできたはずである。

しかし、大阪維新の会が提案した「教育基本条例案」は、これまでの大阪府の教育施策の全否定から始まっている。これを読んで、怒りを感じない方がおかしい。
現行制度でも、教育に対して知事は一定の影響力を発揮することができる。ある意味、橋下知事の意向に沿いながら、教育委員会の自立性も保ちつつ、大阪の子どもたちのために力を尽くしてきた教育委員にしてみれば、今回の「教育基本条例案」は知事による「裏切り行為」である。
そういう橋下知事の許しがたい行動に対して、「総辞職」で抗議することは当然の行為であろう。

知事自身が任命した教育委員なのである。その教育委員全員が「総辞職」を表明したことは、知事に「三行半」突きつけたということである。つまり、橋下知事は自分が選んだ教育委員に「見捨てられた」のである。
もはや、橋下徹大阪府知事は「裸の大様」である。

このたび、10月25日に大阪府教育委員が連名で発表した「教育基本条例案に対する教育委員の見解」を入手した。非常に的を得た批判であるので、リンクを張ると共に、項目を紹介したい。

教育基本条例案に対する教育委員の見解

1. 私たちは、憲法・教育基本法を柱とする現行教育法令を尊重する。

2. 私たちは、教育という全ての子どもたちに関わる根本的な重要課題を、短期間の審議や選挙で決めるべきではないと考える。

3. 私たちは、今回の条例が生み出す教育委員会の無力化、教育と政治の一体化を認めるわけにはいかない。

詳しくは、是非「見解」全文を読んでいただきたいが、まともに筋の通った意見である。
私がたまたまつけていたTVに橋下知事が出演していたが、教育委員の総辞職についてキャスターから質問された彼の返事は「仕方がないですね」だった。
その後続いて、「僕は『教育委員会』のあり方を論議したいのに、向こうから議論を逃げているようでは仕方ないですよ」と発言した。この条例案のどこに、教育委員会のあり方を議論するような文面があるのか。
本気で議論したいのなら、条例案ではなく、直接話し合えばいいこと。彼は府民は詳しい内容を知らないことを見越して、平気で嘘をつく、そんな人間なんだと改めて思った。

橋下徹大阪府知事は、虚言、詭弁、暴言の鎧で身を守る、孤独な「独裁者」である。

このような人間にこれ以上大阪を任せるわけにはいかない。
11月末のダブル選挙では、大阪市民・府民の正しい判断が示されると共に、かつて行われていた「教育委員公選制」の対して、再度議論を始めて行く必要性を感じる。
これが、教育に「民意」を反映させる、重要な方法の一つと考えるからである。

(後日、加筆する予定です。)

 

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大阪府立高校のPTA協議会が大阪維新の会に対して、「教育基本条例案」の改善・撤廃を求める嘆願書を提出しました

今、橋下徹大阪府知事、大阪維新の会の足下が揺らぎ始めているといっても、過言ではないであろう。

通常、学校や関係機関との協力関係を重要視するPTAが、会長などの役員連名で時の政権が提案している条例案に対して、改善・撤廃の嘆願書を出すことは異例のことである。
それだけ、普通の保護者が読んでも、違和感と問題性を感じる条例案なのである。

私が10月15日付けで書いた記事で指摘した「教育基本条例案」の第10条であるが、やはり誰が読んでも、上からの押しつけと不快感を感じるものなのである。
また、嘆願書は第5章の第2条の5、「児童生徒の保護者も、部活動を初めとする学校運営に参加するなど、主体的に積極的な役割を果たすよう努めなければならない。」という条項にも触れている。
前回の記事では、私はコンパクトにまとめるためにこの条項には敢えて触れなかったが、この文章も「親は学校のすることに協力しろ」と強要していると読める。

子どもを中心によりよい学校を作るために、教師と保護者が協力し合うことは当たり前の話である。実際に学校に行って手伝う場合もあれば、家庭で「先生の言うことはしっかり聞けよ」と子どもに助言することも、大切なサポートである。
あるいは、よりよい教育を巡って学校と保護者の意見が食い違い、議論になることもあるだろう。しかし、それも子どものためを考えての話し合いであれば、最後には必ず一致点を見いだし、教師と親の関係性は更に強くなっていくのである。
そのようにして、2者が協力して学校を作っていくことが、戦後の新しい教育の根本精神の一つなのである。

それが、なぜ今回の「教育基本条例案」が親の不快感や反発を引き起こすのか。それは、条例というものを意図的にか(無意識にか)保護者を縛る「道具」としても使おうとしているからである。その意識が「〜ねばならない」という文言の列挙になり、読んでいる親に不快感を感じさせるのである。

そもそも、条例などの「きまり」は人を縛るためにあるものではなく、他人同士がお互いの権利を尊重し合いながら、共存できる社会を作るために制定されるものである。これが戦前とは違う、日本国憲法の下での法体系の思想である。そもそも、憲法も国家が国民を縛るためのものではなく、国民が国家の暴走を統制し、平和的に生きていける国にするために制定されたというのが、現在の憲法学の定説である。
だからこそ、憲法前文の主語は「日本国民」であり、決して「日本政府」ではないのである。

ところが、「教育基本条例案」の前文では主語は「教育行政」になっており、それにこれまで「民意」が反映されてこなかったとしている。その「民意」と「教育の中立性」と「政治」という言葉を巧みにすり替えて論理を組み立て、「議会」が条例を制定することで、「教育」に関与することは問題ないと結論づけている。
上記の前文の論理は、自己矛盾を起こしている。「教育の中立性」とは「特定の政党を支持し、あるいは反対するための政治教育」という狭い意味ではなく、政権がどのように変わろうとも「普遍的で民主的な社会の形成者」の育成のために行わなければならないという意味で使われてきたものである。

今回の条例案は、大阪府議会で第1党の大阪維新の会が作成、提案している。ということは、次の府議会選挙で民主党が第1党になれば、また別の条例が作成、提案され、教育の目標が変わってもかまわないということを、自らの行動で認めていることに等しい。これが「政治による教育の支配」なのである。
つまり、彼らの言っている「民意」とは「大阪維新の会」の教育観のことであり、だからこそ、その代表である橋下知事は教育委員会への出席を強く要望してきたわけである。
保護者は自分の大切な子どもと学校を、橋下知事と彼を支持する一地方政党が、彼らの思い通りに支配しようとしていることを肌で感じ、不快感を表していることに彼らは気づかなくてはならない。
大阪府民は、決して「馬鹿」ではない。橋下知事・大阪維新の会の狙いを理解し、反対しているのである。

ところで、条例案では「第9章の第48条で「この条例は、府の教育に関する最高規範である。」として、「大阪府教育基本条例案」の最高規範性を定めている。しかし、この条例が適用されるのは、第1章の第4条で定義されているように、「公立高校」や「公立小学校・中学校」のみである。つまり、私立高校にはこの条例案は適用されないのである。
それで、「府の教育の最高規範」と言えるだろうか。これでは、条例の体裁さえ整っていない「愚案」と言わざるを得ない。

このたび嘆願書を入手したので、是非多くの方々に府立高校に子どもを通わせる保護者の思いを知っていただきたく、ここに紹介したいと思う。私立高校に子どもを通わせている方も、最後に「教育基本条例案」へのリンクを張っておくので、一度読んでいただき、これが議会を通れば、大阪の公立学校がどうなっていくのか考えていただきたいと思う。
公立で起きていることは、そのうち私立高校でも起きることになる。
今回のことは、大阪府で子育てをしている保護者みんなの問題だと考える次第である。

平成23年10月19日
大阪維新の会 様

大阪府立高等学校PTA協議会会長・副会長・書記・会計・幹事・会計監査

嘆願書

先日来マスコミ報道で大阪の「教育の場」が慌ただしく報じられております。
「大阪維新の会 大阪府議会議員団」の「教育基本条例案」についてです。
私たちも大阪の子どもを府立の学校に通わす保護者として、この条例案を何度も何度も読み返してきました。
この条例案を読めば読むほどに条例案の改善・撤廃をお願いしたく府高PTAの役員総意の元で作成しました。当然、私たちは政治について意見を言うつもりはありません。
ただ、政治の道具であってはならない「教育の場」です。

子ども達が大人へと成長(自立)していくことはやがて「大阪の未来を豊かに」することとなります。どうか、こころ暖かく考え接し見守っていただきたいと思います。
多くの人たちによってまとめ作成しました嘆願書です。
よろしくお取り計らいのほどお願いいたします。

1. はじめに、私たちの生活上で聞き慣れない、言いなれない言葉があります「努めなければならない」この言葉をいろいろな方々に解説を尋ね聞きました。
非常に強制力のある文言のように思います。不快な気持ちにさせられました。

「児童生徒の保護者も、部活動を初めとする学校運営に参加するなど、主体的に積極的な役割を果たすよう努めなければならない。」

当然、愛する子どもたちです。少しでも子どもたちと接したいと思うのは私たちだけでは無いと思います。ただいくつかの問題点があります。
ご存じのように経済が今までにない程の不景気で家族を守ることが至難の時に、まして変動しての勤務時間帯の中どうして計画的に学校に通うことが出来ますか?部活は週1回?子どもが2人・3人いたら?介護を必要とする家は?

(わが子可愛さで参加した場合)ここでは運動部について集約してお話しします。
(1)子ども(生徒)は高校生です。運動部についてそれ相応に過激で高等なレベルです。指導?技術?責任?教育?保護者はどの部分に参加?主体的に積極的に何の役割を努めなければならないのかお教えください。
(2)(1)の指導・技術は自分の経験等で事が成せるかもしれません。ただし若さの残っている体力のある保護者に限られます。
(3)現在、府高P事務局(138校)から毎日のように部活での怪我の報告があります。
単なる怪我(一週間完治)程度ならよしとしても、補償問題・裁判沙汰等はあり得ないのでしょうか? この時の責任は・・?
(4)部活動は学校教育の一環として認識しておりました。大人への成長していく中で共に目的意識を持ち協調性を持っていく中での部活動は楽しい青春時代を送るなかでも勉強・友だち・と同じく大事なことと認識しています。

(第10条)の文面
2. 「保護者は、学校教育の前提として、家庭において、児童生徒に対し、生活のために必要な社会常識及び基本的生活習慣を身に付けさせる教育を行わなければならない。」

学校に通わせる前に社会常識?もしくは基本的生活習慣を? 私たちの高校生時代は悪さもし、色々な方々から叱咤激励され今日があります。でも、それは私たち以外にもたくさんおられると思います。(花壇に種をまき直ぐに葉・花を咲かせることが出来る花は優等生? 時間がかかったり結果がおぼつかないのが劣等生?)

先日ある学校の特別支援教育の状況を見てきました。発達障がい、アスペルガー症候群、ADHD、他人とうまくコミュニケーションのとれない子どもたちどうしたらよいのでしょう?ちょっとした問題行動でさえ、親が責められていくのでは・・。
私達は子どもの持っている色々な芽を柔軟にみつけ育(はぐく)み育(そだ)てることが最も大事な教育と思います。

保護者と学校の関わりは、非常に大事と考えますが、でもこうなると、私たちの仕事・ここの家庭の事情がどうしたら良いと?私たちの年齢の中には親の介護の方も数多くおられます。また、保護者自身が、部活動に協力出来ない場合を考えますと保護者同士の格差が生じトラブルに発展していきます。他にはPTA予算を通しての外部団体に委託するという方法もあります。当然相当な高額になっていきます。

大阪は庶民の町です。いろいろな意見があるからこそ「おおさか魂が栄えた町」と考えます。橋下知事の一方向だけが『大阪の教育』と決めてしまうことはこわいことです。

以上、保護者にとってこの条例が通ったら、どんなことになってしまうか。「こんなんやったら、あほらしゅうて、ウチの子を大阪府立高校に行かせるのはやめとこか」「部活動に入らさんとこか」といった気分が強くなっていくことが多々見られると心配です。
未来の大阪の教育をキチンと選択して子どもたちの可能性を広げていっていただきたいと強く強く思います。

大阪府議会に提案された「大阪府教育基本条例案」の最終案(大阪維新の会作成)

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大阪府教育委員会は橋下徹知事の横暴に屈することなく、教育の自主性を守ることを強く要望する

11月27日に想定されている「大阪府知事」「大阪市長」のダブル選挙で、「大阪府教育基本条例案」を主な争点にすることを、未だに主張し続けている橋下知事に、大阪府教育委員会が対案を出すという形で妥協し始めている。

教育目標「知事と共同で」大阪府教委、維新条例案に対案:YOMIURI ONLINE
地域政党・大阪維新の会(代表=橋下徹・大阪府知事)が府議会に提案した教育基本条例案を巡り、府教委は、府教育委員と知事が共同で教育目標を設定することなどを柱とする対案を維新側に提出することを決めた。
教育の政治的中立性を保つためにこれまで拒んできた知事の教育委員会会議への出席を全国で初めて認めたうえで、教育目標などを盛り込んだ「教育振興基本計画」を来年度末までに策定する。

妥協点の最大の部分は、これまで教育委員会も強く固辞してきた橋下知事の教育委員会会議への出席を認めてしまったことである。議決権はなくても発言権があれば、彼の意向に沿った内容が決定されていくことは、想像に難くない。

これはゆゆしき問題である。
何度も書いているように、戦前の教育の反省から戦後の新しい教育は「政教分離」を大原則として再出発した。これは、先の戦争では教育を、子ども達に日本の侵略戦争を「正しい戦争」と教え込み、そして天皇や国のために命を差し出すよう洗脳するために利用したからである。教育はこのように、目的を間違うと国民や国を間違った方向に進ませてしまうほどの力を持っていることを示している。

だからこそ、戦後に教育基本法が制定され、その前文につぎのような言葉が書き込まれたのである。

われらは、さきに、日本国憲法を確定し、民主的で文化的な国家を建設して、世界の平和と人類の福祉に貢献しようとする決意を示した。この理想の実現は、根本において教育の力にまつべきものである。

教育は「人づくり」である。しかし、それは時の政府や財界にとって都合のいい人間を育てるためではない。世界に誇る平和主義の日本国憲法の理想を実現するために行われるべきなのである。いわば、平和で民主的な新しい世界を作っていく市民を育てるために行われるべきなのである。
この文章は、改悪された教育基本法では削除されている。そのことからも、政府や財界が教育の目的を大きく変え、自分たちにとって都合のいいものにしていこうという意図は明白である。

以上のことから、教育の目標などに橋下知事個人の意図が入ることは、法的にも歴史的も倫理的も認められないのである。橋下知事の打ち出している政策のほとんどが、関西経済界の移行に沿ったものであることは、かねてから指摘されている。つまり、財界が自分たちにとって都合のいい子どもを作り出すため、橋下知事を利用して、教育を支配しようとしている。そのためには、教師の自由を奪い、お上のいうことを聞かなければ首を切ると脅迫するのが、一番簡単な方法である。「大阪府教育基本条例案」のほとんどが教員の評価や処分で埋め尽くされているのは、そのためである。

報道によれば、橋下知事は条例案を承諾しない教育委員に対し、「反対するなら対案をだせ」と責めよったようだが、これは彼の常套手段である。「大阪府教育基本条例案」は現行の法体系の中でも、いろんな上位の法律に違反していることが指摘されており、そもそも間違っているものである。間違っているものを出してきている知事に対して、対案など出す必要はない。「あなたは間違っているから、条例案を引き下げなさい」と要望するのが、教育委員の正しい態度だったのである。しかし、橋下知事の肝いりで教育委員になった蔭山氏には、そこまでの根性はなかったということか。情けない次第である。

橋下知事・府教委、教育基本条例案で直接バトル:YOMIURI ONLINE
四面楚歌の展開に、橋下知事は「では、教育委員が対案を出してください」と要求。生野委員長は、「対案を出すのなら、条例案は白紙撤回するのか」と迫った が、知事は「撤回はしない。並べて議論すればいい。政治家はいつまでも議論することは許されない。機が熟したかどうかを判断するのはトップの役割だ」と 突っぱねた。

この記事にあるように、対案を出したところで橋下知事は条例案を撤回する意思などないのである。結局、橋下知事の思惑通りになっただけである。このような状態を許すべきではない。

重要なことは、多くの府民はこの条例案は教師に対するものであると思っているようだが、実は保護者が学校教育に関わっていく権利も制限していく危険性をもっているのである。条例案の最終案を入手したので、その部分を紹介したい。

第2章 各教育関係者の役割分担
(保護者)
第10条 保護者は、学校の運営に主体的に参画し、より良い教育の実現に貢献するように努めなければならない。
2 保護者は、教育委員会、学校、校長、副校長、教員及び職員に対し、社会通念上不当な態様で要求等をしてはならない。
3 保護者は、学校教育の前提として、家庭において、児童生徒に対し、生活のために必要な社会常識及び基本的生活習慣を身に付けさせる教育を行わなければならない。

法律用語で「〜ならない」と書かれてあれば、それは「義務規定」であり、必ずそうしなければいけないと解釈される場合が多い。
教育権はそもそも国民にあるというのが、現代の教育の大原則である。教師はその信託を受けて、教育を行っているのである。だからこそ、教師は親の願いや思いをくみ取り、学校は保護者の信頼に応える教育を行っていかなくてはならないのある。
しかし、上記の表記では「社会通念上不当な様態」の解釈が曖昧なため、校長に自分の子どものことで相談しにいったとたん、「条例違反だ」と突っぱねられ、最悪「モンスターペアレンツ」扱いされる危険性がある。

今長引く不況や社会構造の変化の中で、さまざまな事情を抱えている家庭が増えている。しんどい家庭の親を支えながら、子ども達の指導に奮闘している良心的な教師も少なくない。
しかし、上記の条例案では、子どもの指導が十分にできない家庭は、その親が悪いとして更に追い込まれていくことになりかねない。場合によっては、「生活習慣も指導できない親の子どもは、学校に来るな」という事態をも起こしかねない。

このように、今回の「大阪府教育基本条例案」は教師を縛るだけではなく、府民である保護者をも縛る内容なのである。教育目標は知事も入って決定するということは、橋下知事は「府民は俺のいうことに従え」と言っているのと同じことである。
彼はこれまで何かにつけて、自分は「府民の代表」と言ってきたが、ついに府民の教育に対する願いまでも押さえつけ、自分の思い通りにしようとし始めている。これが「ファシズム」の始まりである。ナチスドイツも最初は合法的に選挙で選ばれ、政権を取った後自分たち以外を非合法化し、ホロコーストに走り、国家が自滅していった歴史を忘れてはならない。

大阪府教育委員会には、橋下徹知事の「大阪府教育基本条例案」に最後まで反対を貫くことを強く要望するとともに、大阪府民の皆さんには今度の選挙で正しい選択をし、この大阪を一部勢力から私たち府民の手に取り戻すことを、強く訴える次第である。

 

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箕面市が市立小学校・保育所における給食食材の放射能検査を実施すると発表しました

10月6日付けで、箕面市教育委員会から保護者宛に文書で、「市立小学校・保育所の給食食材の放射能検査を実施する」ことが発表された。

(報道資料)公立小学校・保育所における給食食材の放射性物質検査を実施します

私たち「みんなの箕面」は9月1日の記事で、「学校給食の食材の放射能検査」を強く要望していた。その立場から、今回の教育委員会の決定には一定の前進を感じ、敬意を表する。

実は、関係者の情報で前回の記事を書いた当時は、教育委員会は放射能検査に乗り気ではなかったことを把握している。その教育委員会を動かしたのは、間違いなく市民の声であり、あきらめずに声を上げていくことが市政を変える力になることに、私たちも確信を持つべきある。

今回の箕面市の決定は、一定評価に値するものであるが、私たちはまだいくつかの懸念を抱いている。それについて列挙したい。

まずは、放射能検査の対象になっているのが、公立施設の給食であること。
周知の事実であるが、箕面市は数年前から公立保育所の民営化を進めており、かつて公立であった瀬川保育所、桜保育所はすでに民営化されて独自のメニューで給食を実施している。今後の民営化の対象として、すでに箕面保育所、稲保育所が決定している。
また、第2総合体育館横の新しい保育園、箕面森町にできる「認定こども園」も民間保育所である。
これらの保育所にも、多くの箕面市の子ども達が通っている。現在の児童福祉法では「保育の主体は市」であり、市は公立・民間の違いを問わず、箕面市の子ども達全てに、平等の保育を保障する責任を担っている。

その立場から考えると、今回放射能検査の対象から民間保育所を外したことは、大きな問題だと言わざるを得ない。放射能汚染の影響は、幼い子ども達ほど受けやすい。
また、民間は公立よりも少ない補助金で運営されている。そういう民間園に自力で食材の放射能検査を要求することは、かなり無理のあることである。
箕面市には、今回の決定を更に推し進め、民間保育所の給食食材の放射能検査も市が責任をもって行えるよう、関係機関と協議するよう、強く要望したい。

また、検査対象には、以下のものをあげている。

給食に使用する肉類、魚介類、青果物などを対象に
・国等からの情報により、放射性物質に汚染されている可能性のあるもの
・過去に出荷制限や出荷の自粛が求められた地域で生産されたもの
を対象とします。

今回の福島第一原発の放射能漏れの問題に関しては、さまざまな利害関係が絡み、正しい情報が速やかに国民に知らされているとは言えない状況である。政府・メディアによる「情報操作」を強く感じた方も、少なくないだろう。
どの地域、どのような食べ物が放射能汚染の危険性が高いか、原発大国のフランスが、在日のフランス国民に知らせている情報が詳しいので、参考にしてほしい。

「食品の汚染に注意」在日フランス人向け公報・IRSN(9月22日)
フランス放射線防護原子力安全研究(IRSN)は9月22日、日本在住のフランス人向けに「福島第一原発事故に関する公報(7)」を発表しました。福島県 をはじめとする4県(茨城、栃木、福島、宮城)周辺における放射能汚染への注意喚起については前回の公報(6月8日)の内容からは大きく変わっていません が、今回は特に食品汚染の広がりに対する注意喚起が中心となっています。

この文書の中では、お茶やキノコ、多くの魚に放射能汚染の危険性の可能性が挙げられている。そして、汚染地域として、福島、宮城、岩手、栃木、秋田、茨城、群馬、埼玉、東京、神奈川、千葉の各県が名指しされている。
つまり、福島周辺だけでなく、放射能汚染はかなり広がっているのが、フランス政府の認識である。

もう一つ、私たちが懸念しているのは、今回の福島第一原発事件以降、安全とする放射能汚染基準を、政府が意図的に甘くしていることである。
以下の資料を見ていただきたいが、他国と比べて甘すぎる現在の日本の基準でOKだとしても、それが決して子ども達の健康を保障するものにならないことが十分に考えられるのである。

世界もおどろく日本の基準値2000ベクレル

ならば、私たちのできることは何であろう。
箕面市が本気で子ども達の安全を考えるのならば、日本の甘い基準ではなく、箕面市独自で基準を定め、それに準じて、公立・民間の区別なく、放射能検査を行うことである。

箕面市の発表の中に、気になる表現がある。それは「該当地域の生産物が安全であったことを公表することにより、風評被害の抑止にもつながる」という部分である。これは、フランス政府が名指ししている地域からも、食材を調達する可能性があることを暗に示しているとも読み取れる。これは、風評被害以前に、子どもの安全を守るために、決してしてはならないことである。
放射能は目に見えず、今年は何回か台風が日本列島を通過したこともあり、私たちの予想以上に、放射能汚染が広がっている可能性も否定できない。
風評被害を抑止するとは、聞こえはいいが、場合によっては今の事態を招いた政府や東京電力の責任転嫁の言い訳に利用される恐れがある。箕面市は自信をもって、東日本からの食材の調達はしないと宣言すべきだと、私たちは考えている。

今回の件について、箕面市には何の責任もなく、むしろ被害者である。だから、行政の慣習を越えて、もっと強く国に補助金も含めて要望するべきである。
本気で子ども達の健康と未来を守る、そういう箕面市であってほしい。そのためなら、政府とも、しっかりと対峙してほしい。

この件のみ、倉田哲朗市長の直接のコメントを求めているのは、箕面市の未来を背負う子ども達に直接関係する問題だからである。
箕面市には、もっと踏み込んで、子ども達の食の安全を保障することを、改めて要望する次第である。

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