11月27日に想定されている「大阪府知事」「大阪市長」のダブル選挙で、「大阪府教育基本条例案」を主な争点にすることを、未だに主張し続けている橋下知事に、大阪府教育委員会が対案を出すという形で妥協し始めている。
教育目標「知事と共同で」大阪府教委、維新条例案に対案:YOMIURI ONLINE
地域政党・大阪維新の会(代表=橋下徹・大阪府知事)が府議会に提案した教育基本条例案を巡り、府教委は、府教育委員と知事が共同で教育目標を設定することなどを柱とする対案を維新側に提出することを決めた。
教育の政治的中立性を保つためにこれまで拒んできた知事の教育委員会会議への出席を全国で初めて認めたうえで、教育目標などを盛り込んだ「教育振興基本計画」を来年度末までに策定する。
妥協点の最大の部分は、これまで教育委員会も強く固辞してきた橋下知事の教育委員会会議への出席を認めてしまったことである。議決権はなくても発言権があれば、彼の意向に沿った内容が決定されていくことは、想像に難くない。
これはゆゆしき問題である。
何度も書いているように、戦前の教育の反省から戦後の新しい教育は「政教分離」を大原則として再出発した。これは、先の戦争では教育を、子ども達に日本の侵略戦争を「正しい戦争」と教え込み、そして天皇や国のために命を差し出すよう洗脳するために利用したからである。教育はこのように、目的を間違うと国民や国を間違った方向に進ませてしまうほどの力を持っていることを示している。
だからこそ、戦後に教育基本法が制定され、その前文につぎのような言葉が書き込まれたのである。
われらは、さきに、日本国憲法を確定し、民主的で文化的な国家を建設して、世界の平和と人類の福祉に貢献しようとする決意を示した。この理想の実現は、根本において教育の力にまつべきものである。
教育は「人づくり」である。しかし、それは時の政府や財界にとって都合のいい人間を育てるためではない。世界に誇る平和主義の日本国憲法の理想を実現するために行われるべきなのである。いわば、平和で民主的な新しい世界を作っていく市民を育てるために行われるべきなのである。
この文章は、改悪された教育基本法では削除されている。そのことからも、政府や財界が教育の目的を大きく変え、自分たちにとって都合のいいものにしていこうという意図は明白である。
以上のことから、教育の目標などに橋下知事個人の意図が入ることは、法的にも歴史的も倫理的も認められないのである。橋下知事の打ち出している政策のほとんどが、関西経済界の移行に沿ったものであることは、かねてから指摘されている。つまり、財界が自分たちにとって都合のいい子どもを作り出すため、橋下知事を利用して、教育を支配しようとしている。そのためには、教師の自由を奪い、お上のいうことを聞かなければ首を切ると脅迫するのが、一番簡単な方法である。「大阪府教育基本条例案」のほとんどが教員の評価や処分で埋め尽くされているのは、そのためである。
報道によれば、橋下知事は条例案を承諾しない教育委員に対し、「反対するなら対案をだせ」と責めよったようだが、これは彼の常套手段である。「大阪府教育基本条例案」は現行の法体系の中でも、いろんな上位の法律に違反していることが指摘されており、そもそも間違っているものである。間違っているものを出してきている知事に対して、対案など出す必要はない。「あなたは間違っているから、条例案を引き下げなさい」と要望するのが、教育委員の正しい態度だったのである。しかし、橋下知事の肝いりで教育委員になった蔭山氏には、そこまでの根性はなかったということか。情けない次第である。
橋下知事・府教委、教育基本条例案で直接バトル:YOMIURI ONLINE
四面楚歌の展開に、橋下知事は「では、教育委員が対案を出してください」と要求。生野委員長は、「対案を出すのなら、条例案は白紙撤回するのか」と迫った が、知事は「撤回はしない。並べて議論すればいい。政治家はいつまでも議論することは許されない。機が熟したかどうかを判断するのはトップの役割だ」と 突っぱねた。
この記事にあるように、対案を出したところで橋下知事は条例案を撤回する意思などないのである。結局、橋下知事の思惑通りになっただけである。このような状態を許すべきではない。
重要なことは、多くの府民はこの条例案は教師に対するものであると思っているようだが、実は保護者が学校教育に関わっていく権利も制限していく危険性をもっているのである。条例案の最終案を入手したので、その部分を紹介したい。
第2章 各教育関係者の役割分担
(保護者)
第10条 保護者は、学校の運営に主体的に参画し、より良い教育の実現に貢献するように努めなければならない。
2 保護者は、教育委員会、学校、校長、副校長、教員及び職員に対し、社会通念上不当な態様で要求等をしてはならない。
3 保護者は、学校教育の前提として、家庭において、児童生徒に対し、生活のために必要な社会常識及び基本的生活習慣を身に付けさせる教育を行わなければならない。
法律用語で「〜ならない」と書かれてあれば、それは「義務規定」であり、必ずそうしなければいけないと解釈される場合が多い。
教育権はそもそも国民にあるというのが、現代の教育の大原則である。教師はその信託を受けて、教育を行っているのである。だからこそ、教師は親の願いや思いをくみ取り、学校は保護者の信頼に応える教育を行っていかなくてはならないのある。
しかし、上記の表記では「社会通念上不当な様態」の解釈が曖昧なため、校長に自分の子どものことで相談しにいったとたん、「条例違反だ」と突っぱねられ、最悪「モンスターペアレンツ」扱いされる危険性がある。
今長引く不況や社会構造の変化の中で、さまざまな事情を抱えている家庭が増えている。しんどい家庭の親を支えながら、子ども達の指導に奮闘している良心的な教師も少なくない。
しかし、上記の条例案では、子どもの指導が十分にできない家庭は、その親が悪いとして更に追い込まれていくことになりかねない。場合によっては、「生活習慣も指導できない親の子どもは、学校に来るな」という事態をも起こしかねない。
このように、今回の「大阪府教育基本条例案」は教師を縛るだけではなく、府民である保護者をも縛る内容なのである。教育目標は知事も入って決定するということは、橋下知事は「府民は俺のいうことに従え」と言っているのと同じことである。
彼はこれまで何かにつけて、自分は「府民の代表」と言ってきたが、ついに府民の教育に対する願いまでも押さえつけ、自分の思い通りにしようとし始めている。これが「ファシズム」の始まりである。ナチスドイツも最初は合法的に選挙で選ばれ、政権を取った後自分たち以外を非合法化し、ホロコーストに走り、国家が自滅していった歴史を忘れてはならない。
大阪府教育委員会には、橋下徹知事の「大阪府教育基本条例案」に最後まで反対を貫くことを強く要望するとともに、大阪府民の皆さんには今度の選挙で正しい選択をし、この大阪を一部勢力から私たち府民の手に取り戻すことを、強く訴える次第である。
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